「何も起きない未来」が一番怖かった話

何かに挑戦するには、もう遅いと思っていた。
「今さら始めても意味がない」
「もっと早くやっていれば違ったのに」

そう思ったことがある人は、少なくないと思います。
正直に言えば、自分もそうでした。

ただ、自分が行動するようになった理由は、
前向きだったからでも、強い意志があったからでもありません。

このまま何もしなかった場合の未来が、想像できてしまった

中学を卒業すると同時に、
今後の未来がなんとなく想像できてしまいました。

当時の自分は、勉強も運動もまったくできないし、
モテるわけでもなかったので、
このまま大人になったら仕事がうまくできず、
無職になるのではないかと不安になりました。

夜、部屋の電気を消して布団に入ったとき、
テレビを見る気にもなれず、
「このまま何も変わらなかったらどうなるんだろう」と、
天井を見つめている自分の姿が、はっきり浮かんできました。

失敗より怖かったのは「何も起きないこと」

失敗する未来よりも、
うまくいかない未来よりも、
自分にとって重かったのは、

「今日と同じ一日が、
 理由もなく積み重なっていくこと」でした。

何かに挑戦して失敗するなら、
少なくとも「動いた」という事実が残ります。

でも、何もしなければ、
何も残らないまま時間だけが過ぎていく。

その感覚が、
少しずつ自分を削っていくように感じました。

問題だったのは、始める年齢じゃなかった

よく「もう遅い」と言われます。
年齢を理由に、挑戦を諦めてしまう人もいます。

でも、今ならはっきり言えます。

問題だったのは、
始めた年齢ではありません。

「変わりたい」と思いながら、
何も変えられない時間が、
積み重なっていくこと。

そのほうが、ずっと重かった。

行動の基準が変わった瞬間

それから、自分の中の判断基準は変わりました。

「成功するかどうか」
「向いているかどうか」
ではなく、

「このまま何もしない一年を、受け入れられるか」

この問いに、
「それは嫌だ」と思えたときだけ、
少しでも動くようになりました。

大きな決断ではありません。
勇気のある行動でもありません。

ただ、止まり続けることのほうが、
耐えられなかっただけです。

このまま何も変えなければ、
きっと同じ苦しみを、何年も抱え続けるんだろうなと思いました。
それだけは、避けたかったのだと思います。

何かに挑戦するには、遅すぎることはない

人生100年時代と言われるようになってから、
「遅いかどうか」を考える基準が、
自分の中で少し変わりました。

例えば、60歳からバイオリンを始めたとしても、
80歳まで生きるなら20年あります。

20年あれば、少なくとも
「やってみた」と言える時間になる。

この考え方を自分に当てはめたとき、
「じゃあ今の自分はどうなんだろう」と思いました。

もし今、何も始めなければ、
数年後に振り返ったとき、
「あのときも同じことを考えて、何もしなかった」
そう思う未来のほうが、よほど怖かったです。

まとめ

  • 行動できた理由は、前向きさではなかった
  • このまま何もしない未来が、現実的に想像できてしまった
  • 問題は年齢ではなく、止まり続ける時間の重さ
  • 受け入れられない未来があるなら、十分な理由になる

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